とりあえず帰ってきたので報告を。
ブランクを置いてROに触ってみると、毎日ログインできていた頃には見えてこなかったものが見えてくる。
人は、相当視覚に依存して生きている生き物であるという。
ROの画面。Mobが発する音が聞こえる範囲を最大まで引いた視野と比較した場合、その差は非常に大きいものだ。俺はこれを便宜上、視界範囲に対して聴界範囲と呼んでいる。
うちの近所に、数年前まで信号機の無かった横断歩道がある。そして、そこは俺が毎日、自転車に乗って通っていた(そして、今でも通っている)道だ。最初の内は、左右の安全を確かめるのに、首を振って左右の確認を行うようにしていた。これは、首を振る時間の分のタイムロスが大きく、しかも首も疲れる。何より、渡れるかどうかの判断を行う際に、左を見ている間は右が見えず、右を見ている際は左を見ることが出来ないので、完全に安全だ、と判断するまでには随分な時間を要した。
俺は、そのうち、耳を使って安全確認をすることを覚えた。慣れない内は、確実性に劣るので耳でアバウトに確認し、目で再確認、というプロセスを常に取っていたが、慣れてきたら、急いでいる時には目で確認しなくても耳だけで完全に安全だと判断できるようになった。まあ、稀にやたら静かな車も居て怖いのだが。
耳で安全確認を行うメリットは、見えない範囲でも聞こえる、ということだ。例えば、その交差点に差し掛かり、左右の視界が開けるずっと以前から、その交差点の付近の交通によって生まれる音は聞こえるし、右を向いていても左の音は聞こえる。
これは、ROのインターフェースに近いものがある。聴界範囲は視界範囲より相当広い。耳でMobや他PCの存在を認識できるようになると、目だけでものを見ていた時とは全然異なる世界が『見えて』くる。
のだが。
俺の場合、音を聞いて状況を判断する能力が、ブランクを置くと一気に減退する。ゼロに戻る、ぐらいの勢いで減る。非常に辛いことに、現実問題として、久し振りにROを立ち上げた際の印象は、『こんなに視野が狭かったのか』だった。聞こえる範囲のものが、『見え』ない。これではGD臨時で魔剣の接近を知覚する前に斬られているのではないか、ぐらいの酷さだ。
さて、近所の話に戻るわけだが、その横断歩道にも、やっと数年前信号機が出来た。左右を見なくても、左右を『見』なくても、ただ見るだけで安全確認が行えるようになったと言うわけだ。
修練を積むのは良い。が、修練を積まなくとも認識できるのであれば、それに越した事はないと思う。
そんなわけで、ROのインターフェースでももっと視点を引けたら良いのになあ、と思う次第。
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コメントレス。
>亞州華さん
コピペなりで辞書登録してしまえば良いのでは?(笑)
ありがとうございます。そんなに老けて見えますかね、これでも、歳相応に見られることが多い方なのですが。……まあ、理詰めで語っていますからね、此処では。