書きたいことがある時、Blogの書き出しをどうするかで大変悩む。
やりたいこととやるべきことは必ずしも一致しているとは限らない。然しながらやりたいことすら判然とせず、やるべきことは少なくともやりたいことではないという状況に遭遇する頻度が高くてどーにも困っている現状です。皆さんはいかがお過ごしですか。
まあいいや、何を前置いても言うことは変わらんのだ、さっさと本題に入ろう。
簡単に言うと、PTにおいてやるべきこととやるべきでないことの話。
ある行動がやるべきことである度合いを大雑把に5段階に分けて考える。
5…絶対にやるべきである
4…やった方が良いが、最悪やらなくても構わない
3…やってもやらなくても良い
2…やらない方が良いが、別にやっても問題はない
1…絶対にやるべきでない
この時、やるべきである度合いが高い行為を疎かにして、やるべきである度合いがより低い行為を行うことは望ましくない。やるべきである度が5である行為を疎かにし、その分のリソースをやるべきである度が1である行為に割り当てた場合、その行為者はハズレと呼ばれるであろう。
注意すべきは、PTの持つ性質、その構成員などによって、この序列は容易に変動しうるということ。然しながら、構成員の職、Lv、また、既知の関係であるならば腕前などを事前に情報として持っていることで、ある程度そのPTにおいて自分が求められること、即ちそのPTにおいて自分がやるべきこと(及びやるべきでないこと)は推察されうる。
この推察が的外れであるとハズレとして判断される可能性もあるが、ハズレと呼ばれる者はそもそもこの推察を行っていない場合が多いと思われる。
例を挙げるならば、
画面を見ない者は、それが多くの場合において1、絶対にやるべきでないに分類されるということを認識していないケースが圧倒的に多い。尤も、画面を見ない者の多くは、自分が画面を見ていないことすら認識していないケースが往々にして見られるので、事態はより深刻なのだが。
ちなみに、この画面を見ないという行為は、画面を見るという行為の否定であり、画面を見るという行為は5、絶対にやるべきである、に多くの場合属する、ということ。大体において、やるべきである度合いがXである行為の否定は、(6-X)というやるべきである度合いを持つ。
考えて行動しろ、というのは、このやるべきことの度合いの見積もりを行え、という意味合いを多分に含んでおり、また、この見積もりを行った上でそのようなことを言われる場合は、見積もりに誤りや見落としが含まれている可能性を検討すべきである。相手が見当違いの内容を求めている可能性もあるので、自分では正当な見積もりテーブルを組んだつもりでこのような発言がなされた場合は、発言者と会話をし、すれ違っている部分を修正することが望ましい。
PTにおいて、と前置いたが、これは別段ゲームにおけるPTに限った話ではなく、他者との関係の中において、このようなことを考えて行動することは結構重要である、と思う。普通は無意識にやっているものだとも思うが。
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コメントレス。
>うさうさ将軍
多くのトリオ狩りの場合、それで前衛に求められる機能を十分果たせているのだから、実に正しい判断だと思います。
>ホコさん
言っても受け容れられない人が大半であるであろうから言わない、というのも、判断としてありだとは思います。ただ、俺は不満点を抱えたまま狩りを続けるのは精神衛生上良くないと思っているので、不満点があったらばしばし叩きつける方です。言っても聞かなかったら帰還を要請します。ついでに、言っても聞かないような手合いの場合、それでも言っておいた方が、以降不満を抱えたままその人と組む確率が減る(自分の立てる臨時チャットへの当該人物の積極的な入室の抑止を誘発する)というメリットも。
ま、性格の問題ですよね。そこら辺は。日本人の多くは事なかれ主義なので、思っても言わずに済ませてしまう人も多いのではないかしらん。
>いしゅたん
夢からry
TOMAAry